接地設計・接地工事・架線金物・農園芸資材のカヤ産業

カヤ産業ストーリー
STORY

カヤ産業ストーリー

創業期(1955年~1965年ごろ)

創業期(1955年~1965年ごろ)

1956年(昭和31年)、日本が高度成長期を迎えて一年目、創業者(現会長)である賀谷禮三により株式会社賀谷商店が誕生しました。
当初は現在の事業内容とは異なる、油・水処理用濾過機販売を手掛けておりましたが、埼玉県に本社工場を置く株式会社特殊工機研究所(現材の日本地工株式会社)と提携し、支線用打込み式アンカー“チコーアンカー”を中部・中国・北陸地区の総代理店として販売を開始しました。
当時電柱を支える支線基礎は、作業者の手で大きく深い穴を掘り、丸太、若しくはコンクリ一トブロックを埋めるという今思えば原始的な工法が用いられていました。それに対し、チコーアンカーを用いた新工法は、小さく開けた穴から本体を打ち込むことで地盤強度を活かしたまま地耐力が得られるという、従来工法と比して労力・性能ともに改善された工法でした。
しかしながら、それまでの施工方法に慣れていたお客様には容易には受け入れられず、世の中に浸透していきませんでした。
そこで弊社は、お客様の実現場を巡回、説明と実演を繰り返し、支線についての意識を変えていただく努力を続け、現在の信頼とシェアを賜るに至りました。

拡大期(1966年~1990年ごろ)

拡大期(1966年~1990年ごろ)

日本が低成長時代へと推移しながらも、社会インフラの整備が進み、過剰流動性によるバブル経済へと向かっていく時代。1967年(昭和42年)、社名を賀谷産業株式会社に、1969年(昭和44年)には現在のカヤ産業株式会社に変更し今に至りますが、その後前述の支線アンカーを主軸に、新たな事業の開拓・展開を図って参りました。
1973年(昭和48年)、農業用施設資材販売分野に進出し、地盤強度を活かす支線アンカーの技術を基に開発されたミニテーアンカーを販売開始。地面から張力を掛けることにより、果樹棚やハウスを台風や豪雪による倒壊から守っています。
1975年(昭和50年)接地抵抗低減剤チコーゲル、接地電極ステップアースなど、電気を大地に逃がす接地関連資材の販売を開始。当時は接地工事の認識は低く、商品販売だけではなく設計から施工までを求められていたことから、建設業許可を受け接地に関するトータルサービスを開始し、弊社の現在を支えるもう一つの事業誕生となりました。
1979年(昭和54年)、名古屋市名東区に赤いレンガ造りの社屋を新築したその年、金沢大学との産学共同により接地解析ソフトT-K法を開発しました。これにより高精度の接地設計手法を確立した弊社は、接地工事の無駄な経費を省き、コストパフォーマンスの高い設計・施工を提案する“システムアース工事”を武器に、公共事業体、電力会社、通信会社など社会インフラ事業者を中心に信頼を積み重ねて参りました。

成熟期(1991年~2015年ごろ)

バブル崩壊に端を発した金融不安、構造改革、リーマンショック、東日本大震災など経済停滞を象徴するトピックスの嵐が吹き荒れた時代、やはり弊社にも試練の時が訪れました。
不景気と構造改革による設備投資の見直しにより、商品販売は落ち込み、工事も大幅な受注減に見舞われました。厳しい状況の中、2001年にグッドデザイン賞を受賞した電柱標示板“タフクリーン”の販売や農業関連商品の多角化など、既存の柱に枝葉を生やすように商材を増やしていくことで、専門商社としての機能を高めて参りました。
また、接地工事部門においても、インフラ系の需要に依存しない体質とすべく、工場などの民間施設を中心とした一般件名工事のニーズを発掘し、取引先または受注件数を拡大して参りました。

未来へ(2015年~)

2016年(平成28年)、弊社はおかげさまで創業60周年を迎えることができました。
そして2019年(令和元年)、賀谷恒夫が新社長に就任し、名実ともに新しい時代を迎えました。
弊社の主だった事業は、皆さまが通常ご覧にならない地面の下で、ささやかながら社会を支えております。
見えない場所だからこそお客様からの信頼を第一に、創業の精神を胸に「100年企業」を目指し歩み続けて参ります。

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